プロジェクト

指導者人材の育成

リーダー人材を大量育成し、現場指揮官としてビジネスマンとしても一流の人材を大量育成する

今の日本サッカー界では、J1クラスの僅かな監督しかチームを勝たせることができません。 プロクラブの多くの監督はサッカー選手としてのキャリアを終えた後にそのまま指導者となるため、マネジメント経験を積む機会が少なく、社会人経験もないため、選手を伸ばす力(寄り添い力・言語力)が付いておらず、結果チームを勝たせる事ができないのでは、と考えました。 また監督“しか”できない監督しかいない事が日本のサッカーにおいての構造的問題なのではないか、とも考えています。 監督“しか”できないから監督“にしがみつく”しかなく、チームや選手やクラブの事を考えずに己の保身に走り、全てを壊さざるをえない構造に日本サッカーの構造的問題があるのでは、と。 そこで私たちは仮説を立て、指導者としてもビジネスマンとしても一流の人材を育て、時期に応じて監督業“も”行う人材を大量に育てる事にしました。 その結果、Jリーグ初の20代の監督、Jリーグ初の女性監督、Jリーグ初のサッカー経験ゼロの監督など、多様で優秀な監督が次々と生まれ、またその者たちが時期に応じてスポーツ企業の経営や価値も向上させるため、日本サッカーがワクワクと可能性に満ちたものになると考えています。

石田 祐樹

2011年J2通算203試合出場後、当グループへ7年前に藤枝MYFC選手兼社員として入団。

2年間のプレー後、コーチ兼社員に。同時に国家資格も取得する。その後男子Jリーグクラブ藤枝MYFCのヘッドコーチ兼女子チームヘッドコーチを兼務し、2016年現場を離れ広報部長を歴任。

現在当グループが経営するプロクラブアミティエのグループ初の自社育成人材として監督に就任した。

2011年、引退後のキャリアに大きな不安を抱えた状態で藤枝MYFCへ

石田祐樹は、2011年に選手として藤枝MYFCに加入しました。これまで、サッカー選手として湘南ベルマーレ、徳島ヴォルティスなどJの舞台で活躍。平均引退年齢が26歳と言われるサッカー界で、実績を積み重ねてきました。しかし、社会人経験が全くなく、サッカー以外スキルを持っていた訳では無かったため、引退後のキャリアには大きな不安を抱えていました。

国家資格取得
「3年文句を言わない」で磨かれた精神性

石田が引退後のキャリアとして漠然と考えていたのが、トレーナーの道でした。選手生活で大きくお世話になったトレーナー。自分がして貰ったように選手を助けられるようになりたい、と考えていました。その思いを加入面談で聞いたクラブは、石田の国家資格取得をサポート。石田は午前中は練習し、午後は専門学校に通うハードスケジュールをこなし、東海リーグ得点王、専門学校では学年2位の成績を取るなど文武で結果を残しました。そこで大きかったのが、クラブと加入面談の際に交わした「3年文句を言わない」という約束でした。その約束により「人のせいにしない」「文句を言わない」という成長の下地ができ、加速度的な成長に繋がっていきました。

女子トップチームヘッドコーチ、指導力の大幅向上

石田は2012年に現役を引退。2013年は専門学校に通いながら藤枝MYFCのコーチを務め、無事国家資格に合格しました。そして2014年からは、女子チーム 「ルクレMYFC」 のヘッドコーチを兼任。サッカー界では軽視されがちですが、女子の指導は男子以上に個々への寄り添い能力が求められます。少しでも選手に向き合うことを怠ってしまうと、途端に信頼してもらえないのが女子選手。指導を通じて選手個人に向き合う力が身に付き、指導者としての大幅な成長につながりました。

広報部長を通じ、本格的なビジネス経験

2016年、石田は現場をいったん離れて、広報部長としてフロント業務を担当しました。主な仕事は、徹底した地域回りと広報活動。業務を通じて、現場にいると本当の意味では分かりづらい、フロントスタッフの苦労を痛感しました。様々な企業、経営者との話を通じてビジネス能力が養われると共に、今まで以上にフロントスタッフへの尊重と感謝の精神が養われました。

読書研修、現代の若者の理解に繋がる

また、クラブでは2015年冬から読書研修を実施していました。2016年の主なテーマの1つが、若者研究。プロスポーツクラブは主に20代の選手が活躍する組織です。また、常に若者が活躍する組織を目指していたこともあり、「若者世代はどのような世代か」を社内全員で学んでいました。
指導者にはその世代を理解した指導方法が求められます。読書研修を通じて「寄り添い」「個人を尊重する」 など現代の若者へのサポート、接し方を学び、指導にも役立つことになりました。

就任2ヶ月半で、クラブ過去最高成績

石田は、2017年9月より「おこしやす京都AC」の監督に就任。「指導者人材の育成」を掲げてきたグループ初の組織内育成監督となります。7年間で身に着けてきた、精神性、寄り添い、ビジネス能力などを最大限活用。経営陣・フロントスタッフと最大限連携を図りながら、クラブ過去最高成績を達成しました。

Jの舞台へ、さらなる挑戦

2011年に選手として藤枝MYFCに加入して以来、石田はトレーナーを目指していた当初のビジョンと離れた現在を過ごしています。確実に経験を重ねたことで、当初見えていない世界が見えるようになってきました。まずはビジネスの観点を持つ、Jリーグへ変革をおこす監督になる。石田とスポーツXの挑戦は続いていきます。

龍岡 歩

プレー経験ゼロ、年間1000試合を観て全ての試合で戦術分析ノートを取り続けるサッカーオタクから、クラブを勝たせるJリーグクラブ戦術担当責任者へ

スポーツ嫌いの少年がJリーグ開幕戦に感動し、その後年間1000試合以上を観戦する戦術オタクに

スポーツの嫌いだった13歳の龍岡少年はたまたまつけたテレビでJリーグ開幕戦を見てその迫力に感動。その後年間1000試合を分析する戦術オタクになりました。
学校のテストは数分で終わらせ、残りの時間でテストの裏に理想のフォーメーションと戦術を延々と書いていたこともありました。徹底的な追求で戦術の理解を深め、気づくと年間1000試合以上観戦し、分析したノートが山積みになっていきました。

ブログが契機となり、Jクラブの戦術担当へ

龍岡が観戦経験を積んでいく中、当時勤務していたオンラインサッカーショップがブログを開設。そのブログ内で、サッカー戦術分析を発信するようになりました。次第に、ブログの戦術分析の的確さがサッカー関係記者の間で大きく評判となります。そんな中、ある記者が、「日本一戦術に詳しいかもしれない」 と龍岡を当時藤枝MYFC代表であった小山に紹介。龍岡の戦術眼に可能性を感じた小山は、龍岡の採用を決意。2014年より、当時J3に昇格した藤枝MYFCの戦術担当スタッフとして働くこととなりました。

理想と現実、ギャップの苦悩

龍岡が理想としていたサッカーは、ペップ・グアルディオラなどが体現する、欧州の世界トップレベルのサッカーでした。しかし、2014年に加入した当初は、理想のサッカーと現実のJ3のレベル差が大きく、培ってきた戦術観の発揮に苦しみました。いかに理想の戦術を現実のレベル感に落とし込んでいくか。当初は現場経験を重視しがちな監督が、サッカー経験ゼロの龍岡を経歴のみで判断したこともあり、苦悩の日々は続きました。

最先端の戦術をJ3に最適化、飛躍へ

2016シーズン、藤枝MYFCがスタイルを固定したことで徐々に選手が集まった事も重なり、選手人件費がワースト2の中で7位と、龍岡にとっても飛躍のシーズンとなりました。その大きな要因の1つとして、世界最先端の戦術の知見を、J3のカテゴリへ最適化できたことが挙げられます。トライ&エラーを繰り返し、高い知見を少しずつ現場へ生かせるようになりました。

事例〜優勝チームの100倍のパフォーマンス〜

2016シーズンの年間順位表から各チームの隠れた「選手補強効率」を分析。それぞれのチームが選手人件費100万円あたりでどれだけの勝ち点を稼いでいるのか?を別表にしました。
これを見ると勝ち点61で優勝した大分のこの年の選手人件費は366(3億6600万円)なので、勝ち点を人件費で割ると「0.17」(小数点2以下は四捨五入)となります。一方、選手人件費25(2500万円)で勝ち点45を稼いだ藤枝の補強効率は大分の100倍以上となり、J3でも圧倒的な数値となる「1.8」になります。
このようにサッカーの順位は勝ち点だけでなく人件費等も加味すると各チームの隠れたポテンシャルが明らかになってくるのではないでしょうか。

監督・戦術家・経営が一体となり、新たなチャレンジへ

2018シーズンより、龍岡は「おこしやす京都AC」の分析を担当しています。藤枝の4年で培った経験を活用し、チーム全体の戦術分析から、より選手個々の成長にフォーカスした個人分析へ。石田祐樹監督や経営陣・フロントスタッフと一体となり、よりチームを勝たせる戦術担当となるための新たなチャレンジがスタートしています。